2018年7月から9月まで、TOKYO MXほかで放送されていた女子高生によるゆるふわ登山アニメーション『ヤマノススメ サードシーズン』。1期から連続で本作の監督を務めたのは、これまで数々の作品を手掛けてきたアニメーション監督・山本裕介さんです。

機動戦士ガンダムで知られるサンライズで制作進行としてアニメーション業界に入った山本さんが、監督になるまでの道筋にはどのような人たちとの出会いがあったのか。30年近いアニメーション業界での経験を振り返っていただき、アニメーション業界での働き方について語っていただきました。

山本 裕介(やまもと・ゆうすけ)1966年島根県生まれ日大芸術学部映画学科卒業。制作進行でサンライズに入社。井内秀治監督に師事、演出に。

◯初監督 OVA『御先祖参江』◯テレビシリーズ初監督 『しあわせソウのオコジョさん』◯以後の作品『ケロロ軍曹』、『N・H・Kにようこそ!』、『ナイトウィザード』、『B型H系』、『アクエリオンEVOL』、『ヤマノススメ』、『ワルキューレロマンツェ』、『少年メイド』、『ナイツ&マジック』

やりたい演出をするためには、監督が近道だった

――このインタビューでは、山本さんのクリエイターとしての考え方について掘り下げていこうと思います。早速ですが、まず山本さんがアニメーション業界を目指すようになった経緯をお聞かせください。

この業界を目指すようになったのは中学の時です。アニメが好きで、アニメをつくる仕事がやりたくて。でもその頃は監督を目指していたわけではなく、ただ「演出になりたい」と思っていました。

――数ある職業のなかから、なぜ演出だったのですか?

アニメのエンディングクレジットを見ていて、各話の演出さんによる面白さの違いに気付いたんです。特に、りんたろうさん(※1)のシリーズはそれが顕著で、りんさんご自身が演出されている話数は抜群に面白い。「演出という仕事はきっと重要なポストに違いない!」と思ったんです。

(※1)りんたろう…『銀河鉄道999』『メトロポリス』など、日本アニメの黎明期を支えた演出家の一人。マッドハウス所属。

――特に好きだった作品を一つ教えてください。

当時の同年代の男の子はみんなそうでしたが、SFもの、ロボットものはほとんど見ていました。そのなかで「特に」と言われると『聖戦士ダンバイン』でしょうか。ちょうど高校生になった頃でしたが、毎週ビデオに録っては翌週の放送まで何度も繰り返し見ていました。自分の経歴でいうと『ナイツ&マジック』の演出に最も影響を与えている作品です。

――では、SFやロボットものが好きという気持ちから、サンライズに入社されたと。

いえ、それはたまたまで。僕が在籍していた学科には実写に行く道はたくさんあっても、アニメ関係の求人はサンライズと東映動画しかなかったんです。それで募集要項に「制作進行をやれば、演出になれます」というようなことが書かれていたサンライズに応募しました。

――ですが、実際に演出になったのはサンライズを退社してからですよね。

当時のサンライズには確かに制作進行から演出になれるルートがあったんですが、正規の手順だとすごく時間がかかったんです。例えば制作進行を3、4年経験した後に、設定制作を数年、その後は演出助手、と一つずつステップアップしていくと、演出になる頃には30歳を過ぎている、といった具合に。正規のルートでないとしたら、演出になれるかどうかは運次第でした。たまたま現場で演出が足りない時に「あいつ、進行としては使えないけど演出をさせてみたらどうだろう」といったはずみで演出になるケースがあって、僕もそれに近いです。制作進行としての出来が良くなかったですから。

――そ、そんなことは…。いや。本当に僕は制作進行に向いていなかったんですよ。ですから、サンライズで7スタ(※2)の配属になって、井内秀治監督(※3)と出会って「お前、演出をやってみろ」と声をかけてもらって本当に感謝しています。当時、僕はサンライズで『魔動王グランゾート』や『魔神英雄伝ワタル2』の各話進行をやっていたのですが、それらが終わって井内さんがしばらくサンライズから離れるというタイミングで、リード・プロジェクトに移籍しました。

(※2)7スタ…サンライズの制作部が抱える13のスタジオの一つ。「サンライズ第7スタジオ」の略称。(※3)井内秀治…アニメーション監督、演出家、脚本家など。代表作に『魔神英雄伝ワタル』シリーズ、『魔動王グランゾート』、『ママは小学4年生』がある。

――そこから演出としてのキャリアがスタートするのですね。リード・プロジェクトとはどのような会社なのでしょうか?

社長の井内さん、先輩演出兼副社長の近藤信宏さん(※4)、脚本家で同期の山口亮太君(※5)、それと僕の計4人の会社でした。掛け持ちをせずに仕事の一本一本に集中しようというポリシーの元で、固定給をもらいながら井内さんと近藤さんに仕事を教えてもらえるという、新人演出には理想的な環境だったと思います。

(※4)近藤信宏…アニメーション監督・演出家。代表作に『ムヒョとロージーの魔法律相談事務所』『聖戦ケルベロス 竜刻のファタリテ』『少年アシベ GO! GO! ゴマちゃん』など。(※5)山口亮太…脚本家。代表作に『メダロット』『ドキドキ!プリキュア』『カードファイト!! ヴァンガード』がある。

――それだけ良い環境だったのに、退職されたのは何故でしょうか?

5年ほど経ったある日、井内さんに「お前はそろそろ独り立ちしろ」と言われたんです。「一人でやった方が稼げるだろう」と。

――突然ですね。それは山本さんが何歳の時ですか?

まだ30歳手前でした。最初は不安でしたよ、今までと同じようにやっていけるかなって。ですが、ちょうどその時期に演出チーフという立場でお仕事をもらえたりしたので、なんとか食いつなぐことができたんです。『マスターモスキートン』(1996年~1997年)がそれなんですが、実は最初は「監督をやらないか」と声をかけていただきました。

――ではなぜ演出チーフという立場に?

自分に監督という立場は荷が重いな、と。それで演出チーフならばとお引き受けしたのですが……後になって後悔しました。

――というと?

名前は演出チーフだけれど、結局やっている仕事の内容は監督と変わらなかったんですね(笑)。しかも同じ打ち合わせをしても「監督」が言うのと「監督ではなく演出チーフ」が言うのとでは、スタッフのノリが如実に変わるんです。監督という肩書だけで、同じ要求に対してこうも反応が違うものなんだ。たとえヘビーな要求であっても「監督がそういうならば」とスタッフが応えてくれて、格段に仕事がやりやすくなる。という当たり前のことに気付いたんです。

それがきっかけで、本当にやりたい演出をするためには監督になるべきだと思うようになりました。それで、もし次に監督のオファーが来たらどんな作品でも受けようと決めたんです。

――それで来たのがOVA『御先祖賛江』(1998年~1999年)ですね。

そうです。いわゆる18禁アニメだったんですが、テーマも面白かったので二つ返事で引き受けました。でも、演出チーフをやったことも無駄にはならなくて、テレビシリーズの初監督作品『しあわせソウのオコジョさん』(2001年)は、『マスターモスキートン』をやった縁でラディクスからもらった仕事なんですよ。

目で見て、体で感じなければ、描けないことがある

――次は、山本さんのアニメの作り方についてお聞かせください。アニメーション制作において、原作を分析することは非常に重要なことだと思いますが、一読者とは違う、監督ならではの原作の読み方はありますでしょうか?

原作が小説か漫画かによっても違いますが、映像作品に置き換えるためには、キャラクターたちがどんな場所にいて、どんな空気の中を生きているのか、そうした「背景」を想像しなければいけません。小説原作は挿絵や文章からイメージを膨らませて世界観設定を起こしていきますし、絵のある漫画原作でも、すべてのコマに背景が描き込まれていることは稀ですから。

――この場合の「背景」とは、景色という意味もありますが、『ヤマノススメ』を例にすると、あおい達が山を登っている時の気持ちといったものも含まれますよね。

山の「絶景」だけを描くのならWebで画像検索すればいい。でも、物語を描くには無数の「ちょっといい普通の景色」が必要なんです。それを拾い集めるために『ヤマノススメ』では必ずロケハンをするようにしました。原作者のしろさんもご自身で山に登って描かれているのですが、実際に現地へ行ってみると漫画で得た印象とはずいぶん違います。山に限らず、実在する場所を扱う以上、極力その場に足を運ばないと怖くて描けないですよ。それと一番重要なのは現地に行ったことで得られる「実感」ですね。例えば『ヤマノススメ セカンドシーズン』で登場する三つ峠山は想像以上にハードな山でした。「これはあおいでなくても泣きが入るなあ」と身にしみて感じました。

現地に行ってわかることはほかにもあって、三つ峠山の話は山頂で富士山を見せるサプライズを仕掛けるという趣向なのですが、いざ現地に行ってみたら途中の道のあちこちや、それこそ駅のホームからでも富士山がバッチリ見えるんです。これではサプライズなんて成立しない。そこで、これを逆手にとって、富士山が見えそうになるとベタなギャグでごまかしたり、途中であおいはサプライズに気付くけれどあえて黙っていたりなどの展開を追加したんです。苦肉の策ですが、結果としてアニメ独自の膨らみが加わったように思います。逆にもし現地に行かないままアニメにしていたら、大恥をかいていたかもしれません。

――『ヤマノススメ』はこれまで三期も放送された大人気作品ですが、マネジメントで工夫されたことはあるのでしょうか?

質とスピードにおいて信頼できる人に仕事を頼む、というのは当然として……それ以外だと「スタッフへの要求」にメリハリをつけることでしょうか。すべてに100点満点を求めると、とてもではないですがお金にも見合わないし、スケジュールが破綻してしまいますので。適度に妥協して最終回まで戦線を維持することを第一に考えます。

あとは時間の配分です。徹底的にコンテを粘るタイプの監督もいますが、僕の場合はそれよりもなるべくほかの人に時間をあげたい。脚本や絵コンテ作業などの上流で時間をかけすぎて、他のスタッフの作業時間を削ってはいけないという考えです。

同じようにアニメのメインパートとも言える作画にこだわりすぎると、背景や仕上げ、撮影、音響スタッフの作業時間を圧迫します。そうならないように現場を見渡し、調整して、作品全体のクオリティを維持するように心がけています。とはいえ僕一人ですべてを管理することはできないので、やはりそこは各制作進行の力があってこそですね。

二人の監督に教わった、絵コンテの描き方

――理想のキャリアを歩むための、山本さんなりの「成功の秘訣」は何だと思いますか?

僕の場合は「縁」に恵まれていて、井内さんと出会えたことがまず幸運でした。それでも、僕が何か努力したことがあるとすれば「出された宿題を必ずやった」ということでしょうか。

井内さんは人を育てたいという意欲の強い方で、今思うと本当にありがたいことなんですが、演出志望者に宿題を出してくれたんですね。最初は『魔動王グランゾート』のプロット出しから始まって、それができたらシナリオ、その次は絵コンテ……と。その宿題がどれも楽しくて、制作進行の業務のかたわら一生懸命やっていました。

プロットや脚本はともかく、当時も今も演出になるための近道は絵コンテを描いて人に見てもらうことだと思います。演出になりたいけれど絵コンテを書きたくないという人は、やはりどこか向いていないのかもしれない。「描いていて楽しい」というのが、この仕事で何よりも重要な資質ですから。

――山本さんに絵コンテを見せに来る人がいたとしたら?

必ず読んで、メモをつけて返すようにしています。自分も井内さんにそうしてもらいましたから、同じことをする義務があると思うんです。『ケロロ軍曹』や『ヤマノススメ』でも、練習のコンテを見せてもらったことがあります。そうゆうのは嫌ではないので、どんどん見せに来て欲しいですね。

――後輩が育つのは、山本さんにとって嬉しいことなのですね。

あんまり育ちすぎると商売敵になるので複雑ですけどね(笑)。でも知り合いがちゃんと評価されるのは嬉しいことですよ。

――井内監督以外にも、山本さんが影響を受けた方というのはいらっしゃるのでしょうか?

たくさんいますが、あとひとりに絞るならさっき名前が出た『聖戦士ダンバイン』の総監督でもある、富野由悠季監督です。井内さんは、公私ともにお世話になった師匠で、演出としての作法とか、作品に対する取り組み方やモラルを教わりましたが、富野監督には絵コンテを描くうえで必要な考え方とか、実務レベルで役立つ演出論などを教えていただきました。

――富野さんとはどこで出会ったのですか?

井内さんに「富野さんに揉まれてこい」と『機動戦士Vガンダム』の現場に送り込まれたことがきっかけです。当時は、富野さんは怖い監督だという評判がよく耳に入っていて、作品は好きでしたが一緒に仕事をするのは正直気が進まなかったのですが、社長命令じゃ行かざるを得ませんでした。しかも富野さんと僕は同じ日芸の映画学科だったので、「同じ学校出身で、こんなにできの悪い奴がいるのか!」と怒られるのではないかと思うと余計に怖くて(笑)。

しかし一緒に仕事をしてみると、確かに厳しい方ではありましたが、同時に人に教えるのが大好きな方だと知りました。カッティング(※6)を例にとっても、いかに小気味よく切っていくか、また逆に絵コンテに立ち返ってどんな絵コンテにすれば綺麗に編集できるか。その技術を実地で懇切丁寧に教えていただきました。富野監督ご自身がおっしゃっていたのですが「半年間で十年分の勉強ができた」と思っています。

(※6)カッティング…放映フォーマットに合わせて各カットの尺を調整すること。編集ともいう。

――井内さんはこうなることがわかっていて、山本さんを送り出したと。

いや。それだけじゃなく、「お前は最近生意気だから富野さんに凹まされてこい」という意地悪な狙いも絶対にあったと思います(笑)。でも結果的には二十五年以上たった今でも役立つ経験をさせてもらったので、やっぱり井内さんには感謝の念しかありません。

――そんなお二人の影響があったからこそ、山本さんも後輩を育てようという意欲が強いのかもしれませんね。

というより、富野監督の影響下にあった昔のサンライズ系の演出はたいてい人に教えるのが好きなんですよ。ただ、最近のアニメ現場ではそういったスタッフ間のコミュニケーションが減ってきているように思います。

人との出会いを面白いと思えるなら、この仕事は絶対楽しい

――コミュニケーションが減っている、とは?

最近はスタジオに演出さんが常駐しないことも多いんですよ。何本も掛け持ちしている人は下手をするとスタジオにいる時間は一瞬で、カットを片付けたらすぐ移動してしまう。昔は監督や演出同士がスタジオで雑談をする時間も多くて、それで仲良くなる機会もあったのですが。もう一つは、今はネットや電話でやり取りをすることが多くて、相手と直接会うことが本当に少なくなりました。例えば制作進行もカットの回収を業者にお願いしたり、Twitter経由で仕事の依頼をしたりなんて話も耳にします。それはそれで悪いとは言いませんが……ただ、キャリアアップしていく制作進行というのは、やはり直接顔を見せてくれる人なんですよね。

――顔が見えないと信頼するのも難しいですからね。ただ、良い意味では、業界全体で深夜残業や徹夜も減っているのではないでしょうか?

そうですね。僕がこのところずっと席を置いているエイトビット(※7)でも、「時間内に働いて夜は帰ろう!」という意識が高まっていて、僕も含めて徹夜するスタッフは減っています。問題はそれで生まれた時間をどう使うかですね。例えば練習の絵コンテは業務時間外で描くべきものなので、演出志望であれば自分のスキルアップのために時間を使うと良いと思います。プライベートの時間を削ってでもコンテを描きたいと思う人は演出向きです。ほかにも映画を見るなど、いろんな経験を積むことは間違いなくプラスになります。

(※7)エイトビット…アニメーション制作会社。『ヤマノススメ』『ワルキューレ ロマンツェ』などの作品を手掛ける。

――顔が見えないと信頼するのも難しいですからね。抽象的な質問ですが、山本さんはどんな人と仕事がしたいですか?

仕事を面白いと思える人、ですね。「この人はこの仕事を楽しそうにやっているな」とわかるとこちらも安心できるんです。虫のいい話ですが、なるべくならスタッフみんなが面白がって仕事できる現場にしたいです。なにしろ、監督はともすれば加害者になるので。

――加害者とは?

監督が良い作品をつくろうとすると、絶対にスタッフの誰かにシワ寄せがいってなにかしらのしんどい思いをさせることになりますから。そんなこと言えた義理か?と思われるでしょうが、やっぱり目の前で辛そうにされるときついですよ。

――なるほど。

それと、制作進行や演出を目指すのであれば愛嬌があった方がいい。特に制作進行はいろんな人に仕事をお願いする仕事なので、「あいつの仕事ならやるか」と思わせたら勝ちなんです。演出だって同じようにスタッフを動かす仕事なので、クリエイティブな部分とは別に人徳みたいなものがあるに越したことはありません。業界内での横のつながりが多い方が仕事で助けてもらえるし、恵まれた仕事が舞い込みやすく、キャリアアップしやすいです。

――最後に、アニメーション業界を目指す方にアドバイスをお願いします。

繰り返しになりますが、仕事を面白がれること。それができたらこんなに楽しい仕事はほかにありません。アニメが好きであれば、選択肢として前向きに考えてほしいです。

待遇面ではご存知の通り、厳しいところもありますが、僕はこの業界に入って悲惨な思いをしたことがなくて、言われているほど捨てたものでは思っています。特に制作進行・演出であれば、そう悪い環境ではありません。もちろん本人の努力次第ではありますが。こつこつ仕事をして仕事仲間の信頼を得られれば、そのうちプロデューサーや監督になる話も出てくるでしょうし。

尊敬できる人の存在も大きいですね。それだけで仕事の面白さが変わってきます。目標にしたい人や学びたい人は業界内にいっぱいいますので、そんな人たちからちょっとずつ何かを盗んで、たまには恩返しして。現場では人との関係性が本当に重要ですから。いろんな人との出会いを面白いと思えるなら、この世界は絶対に楽しいですよ。

――人との縁を大事にすることこそ、アニメーション業界でのキャリアアップの秘訣なのかもしれませんね。素敵なお話、本当にありがとうございました!

撮影:TAKASHI KISHINAMI 取材・編集:加川 愛美(CREATIVE VILLAGE編集部)

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